不安と不満の二者択一の時、「多くの人は不満を選ぶ」という話し

知っている人は多いかもしれないが、ある本に書いてあった言葉でこういうのがあった。

探偵に関係がある話しだと、「離婚するかしないか」とか「調査した方がいいか、しない方がいいのか」といった時にこの現象が現れる。DVで酷い目に遭っている人もそうだし、浮気の連続で疲弊している人でもこういう選び方をする人がいる。

DVで酷い夫(妻)や浮気が酷く家族に迷惑をかけている夫(妻)だったら普通は「離婚」が筆頭に浮かぶのだが、そんな「不遇」「不満」な毎日よりも離婚してからの想像ができない「不安」な日々と比較したら、今の慣れ切った生活の方が「安心」ということで不満な毎日を選ぶということ。

浮気を怪しんで調査する際も、浮気がハッキリして相手が確定した時の不安よりも、怪しんで鬱々とした不満な毎日を選ぶ傾向にある人もいる。そういう人は相談だけしてオシマイになることが多い。時には「調査した方がいいでしょうか?」とか「私はどうすればいいんでしょう?」と質問してくる人もいる。

判らない未来よりも判り切った現状の方が安心ということであろう。昨日の続きが今日で、今日の続きが明日ということで流れはハッキリ判っている。それが判らなくなることに非常な不安を覚えてしまうのかもしれない。そんな不安に対抗して行くくらいなら不満な毎日を繰り返した方が安心だし明日の予想がつくから安心だという考え。

「一歩を踏み出す勇気がない」という見方もあるが、相手への「共依存」の結果すべてを支配されてしまっている、とも考えられる。結婚していも恋人同士でも共依存の関係はあり「自分がいなければ相手は生きていけない」とか「相手がいなければ自分は生きていけない」と思うことで別れることができなくなっている。

夫婦間や恋人間での共依存

パートナーの欲求を実現させるために極端な自己犠牲をするのもいれば、自己充足のためにそれを求めるのもいる。「ロマンティック蟻地獄」なぞという名称があって驚くが、名前があるということは事例が多いということであろう。

考えるに、不安と不満の二者択一で「不満」を選ぶ人の中には「共依存」の関係が出来上がってしまっている人もそれなりにいるのではないだろうか。となるとその人は既に無力化されて「生殺与奪権(せいさいよだつけん)」を相手に握られてしまっている、というよりも自ら進んで譲り渡していることになるのではないだろうか。

 

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